運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login
14件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

  • 1

1984-05-08 第101回国会 参議院 建設委員会 第7号

一つは、長岡バイパスが通る、長岡大橋がつくられるということ。それから河川法改正、旧河川法から新しい河川法改正がこの当時ずっと行われていて、九条地もと地権者に、廃川敷処分になれば地主の手に戻るということになるわけですね。そういう河川法改正からバイパス長岡大橋問題等々、それから特に大事なのは、この堤が締め切られる、本堤になるということを田中氏は知っていた。

上田耕一郎

1978-03-01 第84回国会 衆議院 建設委員会 第5号

しかもその説明の中に、特に調和を図るべき長岡市の特色の一つとして「現在進行中のものとして信濃川河川敷地長生橋長岡大橋間)に、」まさにこれが問題の河川敷全部に当たるわけなんです。「子供から老人まで幅広い層の利用に供されるよう、各種のスポーツ・レクリエーション施設を主体とする大規模な公園の整備計画がある。と説明されているのです。  

瀬崎博義

1977-11-15 第82回国会 参議院 建設委員会 第4号

それから長岡大橋バイパス、これらの計画も進めなきゃならぬ。これらの条件全部そろって、その間は農民から三十九年、四十年、買い占める間は霞堤ということにしておかなければ農民に見破られるから、実際には本堤、連続堤にする方針なんだけれども、全部仕事が済むまでは霞堤にしておかなければならない。それで私は三十七年三月の――二月から四月のここら辺のところについてきわめて奇怪な事態が進行したと思うんです。

上田耕一郎

1977-11-15 第82回国会 参議院 建設委員会 第4号

ところが、その後がらりと状況が変わって長岡大橋がつくられ、バイパスが設けられ、私たちが売った土地はあれよあれよと言う間に一等地に生まれ変わった。もちろん水につかることもなくなりました。最近河川敷解除になる、そうするともと所有者に下付されるというその河川敷解除も目前に迫っている。

上田耕一郎

1977-11-02 第82回国会 参議院 決算委員会 第3号

バイパス問題から長岡大橋から、さまざまな問題について河川法改正について、これが河川敷でなくなることについて、すべて情報を自分のところに集中して知っていて、農民には教えずに、詐欺をもって買い占めて莫大な大もうけをしようとしたという田中角榮氏にまつわる疑惑であります。この田中角榮氏にまつわる疑惑はいまだ晴らされておりません。

上田耕一郎

1976-10-19 第78回国会 参議院 建設委員会 第2号

その中にはたとえば堤防建設をめぐる疑惑長岡大橋国道八号線バイパス建設計画を前もって田中角榮が知っていて、あの土地を買い占めたという疑惑、それから当時の橋本登美三郎建設大臣が国会で、あれはかすみ堤で本堤にしないという、後でうそになった答弁をしたという疑惑の問題、さらに建設省計画変更をめぐる経過だとか文書の決裁、保管、こういう問題についての疑惑が生まれ、いま衆議院の予算委員会の小委員会がつくられて

上田耕一郎

1976-08-18 第77回国会 衆議院 建設委員会 第11号

○柴田(睦)委員 では、私の主観大臣主観との違いということにしておきますけれども、そういう立場にある人であれば、当然八号バイパス長岡大橋計画昭和三十九年当時において知ることができると私は思います。すでに三十八年にはこのバイパスについても実地調査をやっている事実もあるわけです。八号バイパスができて長岡大橋ができる、連続堤ができる。

柴田睦夫

1976-06-09 第77回国会 参議院 決算委員会 閉会後第1号

いま先生お話でございますけれども、長岡大橋の着工が四十二年十一月でございますけれども、このときはあくまで道路サイドとしておりましたのは、いま先生おっしゃるように、ずっとかすみ堤の中はいわゆる短いスパンの橋梁と、こういう設計でずっときたわけでございまして、先ほど申し上げました取りつけ部分が、土盛りか橋梁形式かという問題についていろいろ判断したのはずっと後でございまして、四十四年からこの取りつけの道路

増岡康治

1976-06-03 第77回国会 衆議院 予算委員会予算審議とその執行に関する調査小委員会 第1号

当時坪当たり五百円、耕作料坪当たり百円、次に建設省霞堤工事を開始したのは四十年の九月で、当時の建設大臣橋本さんがこの霞堤を本堤に変更する意思はないと言明されたのは四十一年十月二十日の予算委員会、それから国道号バイパス長岡大橋建設計画が発表されたのがやはり四十一年、国道号バイパス工事開始が四十二年、長岡大橋信濃川河川敷にかかったのが四十二年十月、霞堤が本堤防計画変更されたのが四十三年

楢崎弥之助

1975-11-12 第76回国会 衆議院 法務委員会 第3号

ところが現状は、その新しい堤防ができ、しかも新しいバイパス道路が新設され、新しい長岡大橋というものが新設されたということで、その土地は十万円から十五万円坪当たりするようになって、買い占めた土地七十五ヘクタールは現在約三百億円の価値を生じている、こういう不当な利益を得た。そういう犯罪だということで告発がなされているわけでございます。  

青柳盛雄

1975-03-05 第75回国会 参議院 予算委員会 第2号

○国務大臣仮谷忠男君) 信濃川蓮潟地区河川敷でございますが、先生承知のように、この川は特に川幅の広い個所があるし、また、長岡大橋架橋問題等も関連をいたしまして堤防を締め切ったことは御承知のとおりであります。したがって、河川区域として存置する必要がない土地については、廃川処分を行うのがこれはたてまえであります。

仮谷忠男

1974-11-26 第73回国会 参議院 決算委員会 閉会後第13号

これら、以上の事実からいって、田中首相がその地位を利用して、この地域に関する本堤のかすみ堤建設計画並びにバイパス長岡大橋建設計画について十分知っていた、そうして将来そこが河川敷ではなくなるということをも既成事実として考えていたということは明白だと思います。田中蔵相が知っているとすると、佐藤昭氏も入内島氏も、あるいは越後交通の庭山氏も片岡氏も当然知っていたことでありましょう。

上田耕一郎

1974-11-14 第73回国会 参議院 法務委員会 閉会後第3号

これが現在、これは七二年の航空写真ですから二年前ですが、このように堤防が完全にでき上がって、長岡大橋ができてバイパスが貫通して、そしてこの堤防の外側の室町産業が買い占めた土地は、みごとに堤防バイパスにはさまれた土地に仕上がっていますね。これが昭和四十年。ここに年号が入っております。六五年ですから。

橋本敦

1974-11-14 第73回国会 参議院 法務委員会 閉会後第3号

橋本敦君 そういたしますと、かりにこの河川敷が将来堤防工事が行なわれバイパスがつき、長岡大橋が通る、そういう計画がなされるということを田中総理もしくは室町産業あるいは関与した越後交通関係者が知っていて告げなかったとすれば、刑事局長、聞いてくださいますか、知っていてあるいは知り得る状況にあって告げなかったとすれば、不作為の欺罔行為に該当するおそれがあると言わねばならぬと思いますが、いかがですか。

橋本敦

  • 1