1984-05-08 第101回国会 参議院 建設委員会 第7号
一つは、長岡バイパスが通る、長岡大橋がつくられるということ。それから河川法改正、旧河川法から新しい河川法の改正がこの当時ずっと行われていて、九条地がもとの地権者に、廃川敷処分になれば地主の手に戻るということになるわけですね。そういう河川法改正からバイパス、長岡大橋の問題等々、それから特に大事なのは、この堤が締め切られる、本堤になるということを田中氏は知っていた。
一つは、長岡バイパスが通る、長岡大橋がつくられるということ。それから河川法改正、旧河川法から新しい河川法の改正がこの当時ずっと行われていて、九条地がもとの地権者に、廃川敷処分になれば地主の手に戻るということになるわけですね。そういう河川法改正からバイパス、長岡大橋の問題等々、それから特に大事なのは、この堤が締め切られる、本堤になるということを田中氏は知っていた。
しかもその説明の中に、特に調和を図るべき長岡市の特色の一つとして「現在進行中のものとして信濃川河川敷地(長生橋〜長岡大橋間)に、」まさにこれが問題の河川敷全部に当たるわけなんです。「子供から老人まで幅広い層の利用に供されるよう、各種のスポーツ・レクリエーション施設を主体とする大規模な公園の整備計画がある。と説明されているのです。
それから長岡大橋やバイパス、これらの計画も進めなきゃならぬ。これらの条件全部そろって、その間は農民から三十九年、四十年、買い占める間は霞堤ということにしておかなければ農民に見破られるから、実際には本堤、連続堤にする方針なんだけれども、全部仕事が済むまでは霞堤にしておかなければならない。それで私は三十七年三月の――二月から四月のここら辺のところについてきわめて奇怪な事態が進行したと思うんです。
ところが、その後がらりと状況が変わって長岡大橋がつくられ、バイパスが設けられ、私たちが売った土地はあれよあれよと言う間に一等地に生まれ変わった。もちろん水につかることもなくなりました。最近河川敷が解除になる、そうするともとの所有者に下付されるというその河川敷解除も目前に迫っている。
バイパス問題から長岡大橋から、さまざまな問題について河川法の改正について、これが河川敷でなくなることについて、すべて情報を自分のところに集中して知っていて、農民には教えずに、詐欺をもって買い占めて莫大な大もうけをしようとしたという田中角榮氏にまつわる疑惑であります。この田中角榮氏にまつわる疑惑はいまだ晴らされておりません。
その中にはたとえば堤防建設をめぐる疑惑、長岡大橋や国道八号線バイパスの建設計画を前もって田中角榮が知っていて、あの土地を買い占めたという疑惑、それから当時の橋本登美三郎建設大臣が国会で、あれはかすみ堤で本堤にしないという、後でうそになった答弁をしたという疑惑の問題、さらに建設省の計画変更をめぐる経過だとか文書の決裁、保管、こういう問題についての疑惑が生まれ、いま衆議院の予算委員会の小委員会がつくられて
このかすみ堤は、昭和四十年に着工しまして、その後長岡大橋の架橋に関連し、また治水上の観点、それに控え堤の補強並びに橋梁の工費など種々検討しました結果、お話のとおり昭和四十三年の七月に締め切り堤に変更した次第でございます。そうして四十五年の十二月に完成したものでございます。
○柴田(睦)委員 では、私の主観と大臣の主観との違いということにしておきますけれども、そういう立場にある人であれば、当然八号バイパスや長岡大橋の計画も昭和三十九年当時において知ることができると私は思います。すでに三十八年にはこのバイパスについても実地調査をやっている事実もあるわけです。八号バイパスができて長岡大橋ができる、連続堤ができる。
いま先生のお話でございますけれども、長岡大橋の着工が四十二年十一月でございますけれども、このときはあくまで道路サイドとしておりましたのは、いま先生おっしゃるように、ずっとかすみ堤の中はいわゆる短いスパンの橋梁と、こういう設計でずっときたわけでございまして、先ほど申し上げました取りつけ部分が、土盛りか橋梁形式かという問題についていろいろ判断したのはずっと後でございまして、四十四年からこの取りつけの道路
当時坪当たり五百円、耕作料が坪当たり百円、次に建設省が霞堤の工事を開始したのは四十年の九月で、当時の建設大臣の橋本さんがこの霞堤を本堤に変更する意思はないと言明されたのは四十一年十月二十日の予算委員会、それから国道八号バイパスの長岡大橋の建設計画が発表されたのがやはり四十一年、国道八号バイパスの工事開始が四十二年、長岡大橋が信濃川の河川敷にかかったのが四十二年十月、霞堤が本堤防に計画変更されたのが四十三年
ところが現状は、その新しい堤防ができ、しかも新しいバイパス道路が新設され、新しい長岡大橋というものが新設されたということで、その土地は十万円から十五万円坪当たりするようになって、買い占めた土地七十五ヘクタールは現在約三百億円の価値を生じている、こういう不当な利益を得た。そういう犯罪だということで告発がなされているわけでございます。
○国務大臣(仮谷忠男君) 信濃川の蓮潟地区の河川敷でございますが、先生御承知のように、この川は特に川幅の広い個所があるし、また、長岡大橋の架橋の問題等も関連をいたしまして堤防を締め切ったことは御承知のとおりであります。したがって、河川区域として存置する必要がない土地については、廃川処分を行うのがこれはたてまえであります。
これら、以上の事実からいって、田中首相がその地位を利用して、この地域に関する本堤のかすみ堤建設計画並びにバイパス長岡大橋の建設計画について十分知っていた、そうして将来そこが河川敷ではなくなるということをも既成事実として考えていたということは明白だと思います。田中蔵相が知っているとすると、佐藤昭氏も入内島氏も、あるいは越後交通の庭山氏も片岡氏も当然知っていたことでありましょう。
それから国道八号線のバイパス並びに長岡大橋の建設計画、これは当委員会での井上道路局長の答弁によりますと、計画線の調査は昭和三十八年から始まった。三十八年から三十九年にかけて行なわれたと答弁しております。
これが現在、これは七二年の航空写真ですから二年前ですが、このように堤防が完全にでき上がって、長岡大橋ができてバイパスが貫通して、そしてこの堤防の外側の室町産業が買い占めた土地は、みごとに堤防とバイパスにはさまれた土地に仕上がっていますね。これが昭和四十年。ここに年号が入っております。六五年ですから。
○橋本敦君 そういたしますと、かりにこの河川敷が将来堤防工事が行なわれバイパスがつき、長岡大橋が通る、そういう計画がなされるということを田中総理もしくは室町産業あるいは関与した越後交通の関係者が知っていて告げなかったとすれば、刑事局長、聞いてくださいますか、知っていてあるいは知り得る状況にあって告げなかったとすれば、不作為の欺罔行為に該当するおそれがあると言わねばならぬと思いますが、いかがですか。
長生橋、長岡大橋、それから蔵王橋、このように三つの橋がかかっておりますが、最近長生橋と長岡大橋の間に一つ大きな橋をかけようという計画がされております。これを簡単に御説明願いたいと思います、時間もあまりありませんから。
しかもその後四十五年十一月には、長岡大橋、りっぱな橋がかかりまして、三十九年九月五日に二十数万坪の土地を買収したやつが、おそらく現在では百倍以上になっているのじゃないかというふうにいわれておるわけなんですね。